INAX GALLERY 2

1998年6月のINAXギャラリ−2 Art&News
福士朋子展 −線律画−

Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。



空目と空耳 (そらめとそらみみ)

入澤ユカ
(INAX文化推進部チーフディレクター)

福士朋子の作品を見ながら、私は「雪の結晶」をおもいだしていた。
同じような雪のひとひらの結晶が、みんな違うかたちを秘めている。
ふり積もった雪は、あのきれいな結晶が何千万個も重なり合った姿なんだ、という想像は私を狂おしくする。福士の作品の余白には見えない「雪の結晶」が無数にふり積もっているようだった。

彼女はとびきりセンスがいい、そう思ったが、何のセンスがいいのかは、うまく言い表せなかった。しかしセンスがいい、という苦しみもあるだろうと同時に感じた。
彼女はこれまで多くの美術作品に触れ、多くの技法をマスターした。だがなにもかも描けるようになってみると、大抵のモチーフにリアリティが感じられなくなっていたのではないか。いやそうではない、モチーフというものじたいが自分をすり抜けてはるか彼方へ消えていた。その場所から描きはじめていると感じた。モチーフがないというモチーフ。
ためらい傷のような、二重三重の場所が定まらず震えている線。円弧ではなく螺旋になってしまう終わりのない線。真っ直ぐ向かったのに、あてどもなく戻ってくる線。交差することを願いながら、近づいては離れてしまう線。ところどころに力つきて休息のようにある絵の具だまり。
「あなたの作品はドローイングと呼べばいいのか。ペインティングか」と質問したら、ゆっくり考えて「その中間だと思う」という返答だ。
「いろんなものを上手に描けてしまって困っているんでしょう」とも聞いた。
「時々左手で描いてみるんです」

生成り色のキャンバスに白、ブルー、わずかな黄色。ほぼ3色しか、色は現われてこない。隠すのが目的の修正液のような白は、ためらいがなく置かれる。濃いインクのようなブルーで描かれた線は、濃い色なのに惑いを見せる。
素っ気ないことばを慎重にえらんで、手のこんだラブレターを投函し続けているような、抑制の過剰な情熱。

人はどんな順番で、線を描きはじめるのだろうか。最初の文字が物語を決定する予感を孕むように、画家の最初の線はなにを予感しているのだろうか。
私の線は無心だと、福士は考えすぎないように筆を運ぶ、ようにしているのだと思う。自動書記のように、無意識の線だけで画面を構成したい、と願っているようだ。しかし偶然のようにある名づけられそうなかたちが現われかかると、すぐさま打ち消してしまうに違いない。だから彼女は、過剰な覚醒と抑制の緊張感のただなかにいる。
画面は乾いていて軽やかに見える。きよらかで、簡素にも見えるが、彼女の作品から強く感じたのは、なぜか狂おしいほどの絵画への恋心で、その恋心を隠そうとするもっと深い恋心だった。

問い詰めるように見てしまうことも鑑賞のかたちだが、感じるままに映ってくることもある。「雪の結晶」を想像した私も、もっと違うものも見たかった。寝転んで見る天井の木目模様にさまざまなかたちが現われてくるように、彼女の画面からは文字や図像が見えてくるような気がした。空耳という現象は音の記憶から起きるが、空目という何かが見えた気がする現象もある。

私は、なんらかの理由で消されていったであろう福士朋子のかたちを勝手に想像しはじめた。そうおもった瞬間にもう目の前に、おどけたような図像が現われた、ほんとだよ。それは「サーカスのぶらんこ乗り」図だった。
謎を解くように、謎をますように。自在に空目で、空耳で。そうすると、福士の作品は笑うように開いてくる。




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