Art Newsは、ギャラリー2の展覧会カタログです。ここに掲載論文を御紹介します。
清水敏男 濱恵泉のような現代美術の作家が生け花から出てくることは全く不思議なことではない。生け花は何百年にもわたって自然と人間の存在の深奥部分にふれるもっとも緊張感をはらんだ表現としてありつづけた。いつの時代もその時を生きるものの表現だった。 冬が終わり全ての生命が蘇生する春、北アフリカの大地にあらゆる花が一斉に咲くのをみたことがある。砂漠と海の境界にひろがるわずかな緑地に想像できる以上の色彩が混ざりあいながら埋め尽くすのである。その光景は生命の輝きに満ちあふれていた。自然の刻む生命のリズムに抱かれて、花もそれを見る人間も茫々とした春のなかにいる。しかし花を春の沃野から切り取り花瓶に挿すと花と人間の関係は一変する。
ロバート・メイプルソープというアーティストは、エイズが自分の体を衰弱させ死の淵に沈もうとしていた頃、極彩色の花の写真をしきりに撮影していた。それらの花は大地の水分を吸いつづける花ではなく、生け花だった。死の数年前に日本を訪れたロバート・メイプルソープは生け花にとりつかれていた。
さて濱恵泉にもどろう。濱恵泉にはじめて出会ったのは杉の葉を生けていたときのことだったと述べた。それは初夏の杉の葉だった。森林の杉の葉は大地の力と空中の精気を充分に吸収し生命を燃え上がらせていた。濱恵泉はその杉を大胆にも樹上より切り取ってしまった。もっとも美しい初夏の新緑の一瞬。それを自然界から抽出し人間の力で全く新しい美へと変貌させようというのである。 濱恵泉の仕事は杉の葉の生命力に新しい形態を与えることだった。やがてその形態が現われた。それは炎のような形態だった。いや形が炎のようなのではなく、その形態のなかから自然のエネルギーが燃え出し、巨大な緑の燃焼物となっていたということだ。杉の葉は束ねられ無理やり鉄の枠に縛りつけられているのだが、そうした抑制とは関係なくごうごうと燃えている。 濱恵泉ははじめ自然と人間とのあいだに緊張関係をもたらした。葉を切ることで自然に反した。しかし実はそれは自然の力を最大限に引き出し、その生命力を燃焼させるためだった。生け花は自然であって自然ではない。もっとも人工でありながら人工でない。緑の葉はひとつの塊となって、全く新しい生命体となって呼吸しはじめていた。 生け花は美術において生き物を相手にするというきわめて珍しい例だ。人間という生き物と植物という生き物がわたりあう。一筋縄でいくはずもない。濱恵泉は最近は竹を使っているがそこでは杉とは違って徐々に時間をかけてエネルギーを燃焼させるように、強靭な繊維をねじ曲げる形態を生み出している。植物に対する濱恵泉の態度は杉のときと同じと見ていいだろう。自然に反しながら自然の生命力を導き出し燃やし尽くさせるのである。私は濱恵泉の想像力と、その想像力を超越する自然のエネルギーの双方につねに驚嘆している。
1998年3月 マラケシュにて |
展覧会 TOP PAGE | 作家略歴 |
INAXギャラリー2 1998年の展覧会記録 |
INAX CULTURE INFORMATION http://www.inax.co.jp/Culture/culture.html ギャラリー2へのご意見、ご感想、お問い合わせ等はこちら E-mail:xbn@i2.inax.co.jp 本ウェブサイトからの無断転載を禁じます |
||
Copyright(C) INAX Corporation
http://www.inax.co.jp |