大橋 | 竹内さんは大阪芸大の陶芸を卒業後、多治見陶磁器意匠研究所を経て、今作陶生活を始めて5年目位ですか。
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竹内 | いえ、作陶生活というのはまだ2年目ですね。働いていましたから。
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大橋 | どんなお仕事ですか。
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竹内 | :陶器関係で働きたかったので、やきもの雑貨などを卸している工房で2年弱食器などを一生懸命やっていました。実家が兵庫県なので、地元関西圏でやっていきたかったんです。
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大橋 | 陶器関係の仕事とは言え、現実にはどうでしたか。
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竹内 | つくったものが店に並ぶということは、結構手が抜けない感じはありました。でも手づくりでも大量生産でしたので、ひとつひとつに対する想いはそれほど強くなかった気がします。 自分らしさを意識してつくるようになったのは、意匠研究所の卒業制作の照明作品です。大学の頃からプロダクトっぽい作品が好きでした。大学生の時の課題で、六面体をたたらを貼りあわせてつくったんです。球や四面体に比べて六面体は究極のかたちだ、すごいなぁと思ったんです。
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大橋 | どうして意匠研究所へ行ったんですか。
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竹内 | 陶芸全般に関する知識などをもっと知りたいと思ってです。大阪芸大の時は造形的なところには興味があったんですが、器や釉薬などの知識的な部分に興味が無かったんです。自主的に調べても良かったんでしょうけど、自分に自信がなかったせいもあって行ったんです。
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大橋 | 意匠研究所では、なんでおまえはここに来たんだと言われるそうですね。
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竹内 | 言われましたね。オブジェをつくりたかったのに、多治見という器の産業地へ行くということはある意味で矛盾していることなので、そこでやめるのだったら、自分は本当は陶芸をやりたくないんやと思ったんです。
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大橋 | そこで、幾何学形態を組み合わせた照明器具をつくるようになって、オブジェと言うより実用性のある作品になっていきましたね。
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竹内 | 意匠研究所の卒制では、こういうものをやりますと言うと、その理由を聞かれるんです。ホンマにしたいのかと。それまでもこういう作品はつくってはいたのですが、自分はパーツを集合させた作品をやりたいということがはっきりしてきた。照明にしたことで、陰影をはっきり出せるようになればいいな、自分の中でバチッときたとその時に誤解したんです。で、この後1、2年は表面的な部分だけを追うことになってしまいました。言い訳になりますが、働いていたこともあって、あんまり突き詰めて考えることをしなかった。
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大橋 | バリエーションになってしまったんですね。
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竹内 | その頃友達と話して、ホンマにこれがつくりたいのかとよく言われるようになって、考えるようになって、これを続けていてもこの先が見えないなと思ったんです。
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大橋 | それで仕事をやめて制作だけを考えるようになったんですね。 |
竹内 | 仕事をやめて少しボーとして、過去の自分の作品や、雑誌や本や色々なものを見て、ようやく自分のやりたいことが見えてきたんです。
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大橋 | この後の作品は、規則正しく並べていたキューブを破壊するようになりますね。トンカチで叩くんですか。気持ちいいでしょう。
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竹内 | そうです。それまでは、カチッとしたものをつくりたい気持ちが強かったんです。大学の頃から建築や都市の風景が好きで。意匠研究所の卒制の頃は古代遺跡や、特にメキシコのマヤ遺跡をすごいと思うようになって、壁の幾何学模様やその崩れ具合に惹かれるようになった。それまで好きだった近代建築と比べると、崩れている方が絶対強いと思った。人工的なかたちの力と、それとはまた違う力によって出来てくるものの雰囲気に魅力を感じました。 そこで、自分の作品も崩したり、水に入れて溶かしたり、色々やってみたんです。でもなかなか上手くいかない。その頃、滋賀の日韓国交流展に出品するためにつくっていたんですけど、納得のいくものができていなかったんです。でも時間が迫っていたので仕方なしに、もう焼こうと移動している時に落としたんです。
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大橋 | ええっ。
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竹内 | 窯に入れようとして、滑って中へドーンと落としたんです。全部は壊れなかったけど、ぐちゃぐちゃになりました。もうあかん、間に合わん、どうしようと。その時は5点ほど用意していて、それが一番大きな作品だったんです。すごいショックで。でも他のやつを焼かなくては間に合わないから、取り敢えずそれを出して他のやつを焼いたんです。
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大橋 | 1点つくるのにどの位時間がかかるんですか。
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竹内 | 大きさにもよりますが、鋳込んで半乾きを接着して、全部均等に乾かしていくと二週間位。焼成をいれるともっと。
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大橋 | 全然間に合わないですね。
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竹内 | そうです。それで落としたやつは諦めようと。それでも気持ちは残っているから、捨てられないんです。それでそのまま置いておいたものを、しばらくしてから遠くから眺めたんです。その時に急に、これがいいなと。
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大橋 | でも同じものをつくろうとしても、偶然だからつくれないですよね。
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竹内 | そうなんです。自宅の工房の隣の車庫に置いておいたんですけど、それをオカンが見て、これエエやん、割れてる方がエエやんて言ったんです。
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大橋 | お母さん、見る目がありますね。
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竹内 | ああ、やっぱそうぉと思って。
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大橋 | お母さんも見ていて、これまでは頭でっかちな意図的な作品だったけど、その作品にはそこがスコッと抜けて見えたんでしょうね。
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竹内 | そうでしょうね。ぼくもこれでいってみようかなという気持ちになれたんです。発見できて、すごく運が良かったと思います。でも、割ってから焼くと熱で角が丸くなったりして、なんか違うんですよね。色々試してみて、焼いてからイチかバチか位の勢いで割ったんです。やってみなきゃわからん。そこからです。
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大橋 | そこから、これまでとはつくり方も変わってきますね。
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竹内 | そうですね。未だ半年位なので試行錯誤中です。今までは歪みが気になって神経質になり過ぎていたかもしれません。技術的に手を抜くのではなく、気持ち的に楽になりました。押える所がはっきりしてきましたから。
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大橋 | 意図的に見えたらどうしようもないですからね。割れたことによって、人為を超えた迫力が出ました。それも発見をする力なんでしょうね。 セラミカで以前展覧会をしていただいた田淵太郎さんとも同窓で仲が良いそうですが、田淵さんの作品も亀裂をつくっていく作品ですよね。
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竹内 | 通じるところがあるのかもしれませんが、求めているイメージや割るというその時の発見というのは自分だけのものですから。よく誰かに似ていますねと言われますけど。
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大橋 | 過去にもそういう行為でつくってきた作家はいますが、若い人は他を知らないで、自分でそのやり方に辿り付いているんですよね。
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竹内 | 今展もそういう感じの作品ですが、ぼくはインスタレーション的に、壁に一面だったりするより、モノとして見てもらいたいなと最近思うようになりました。モノとして成立させることにこだわりたいですね。ひとつのかたちの中で自分の言いたいことを表わしたいです。 |