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ハンガリーの建築タイル紀行展
The Art of the Zsolnay Factory : Arhitectual Ceramics from Hungary
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ジョルナイ工房 | レヒネル・エデンとハンガリー建築 | ハンガリーの建築タイル紀行 | 展示品リスト

ジョルナイ工房
ハンガリーの建築タイル紀行展
国立地質学研究所のための修復用屋根瓦と屋根の背飾りを再現
ハンガリーの建築タイル紀行 展
ジョルナイ世紀末コーナー
ハンガリーの建築タイル紀行 展
ジョルナイコーナー
ハンガリーの建築タイル紀行 展
古いタイルコーナー
ハンガリーの建築タイル紀行 展
ハンガリー装飾芸術への最も大きな功績のひとつとして、19世紀末から20世紀初頭におけるジョルナイ工房の活動がある。ひとつの革新的なファミリーにより、150年に渡るハンガリーのタイル文化が築かれていった。

その歴史は、1853年、南部の町ペーチュに雑貨商ジョルナイ・ミクローシュが長男イグナーツへの遺産として購入した「テラコッタ・粗磁器工場」に始まる。イグナーツの弟、ヴィルモシュは優れた実業家であり、雑貨店をヨーロッパ各国の品々を扱うデパートへ成長させた。1864年、工房の経営を引き継いだヴィルモシュは事業家として天賦の才を発揮し、ジョルナイ工房は飛躍的な発展を遂げる。生産の近代化、技術力の向上、芸術的価値の創造、そのための資金を確保する様々な事業を展開し、優秀な経営者や熟練した職人、芸術家を国内外から雇い入れた。

また、ヴィルモシュの家族も工房の発展に力を添えた。息子ミクローシュは父譲りの経営の才を発揮し、画家であった二人の娘、テレーズとユーリアはそれぞれ、地質学者と建築家の夫と共に素材やデザインの発展に大きく貢献した。

ジョルナイ製品は、1878年のパリ万博グランプリ受賞などにより広くヨーロッパ、アメリカまで知られるようになる。また、建築用のテラコッタ生産を更に進め、建築と一体化したデザインによる建築用セラミックの製造部門を設立。耐凍性の外装用セラミックは「ピログラニット」と名付けられ、ハンガリーでは建築用セラミックの代名詞となった。また、玉虫色に輝く「エオシン釉」の誕生は、レヒネル・エデンをはじめ当時の建築家たちの想像力を刺激し、レヒネルの代表作、応用美術館を筆頭にハンガリー独自のアールヌーヴォー建築を築いていく。

ジョルナイの歴史は、こうした新興、栄華のときを経て、1948年の国営化による危機を乗り越え、95年に再び民営化され今も操業を続けている。


↓[写真]ジョルナイ工房から
かつて創業者一族も住んでいたジョルナイ工房。一歩足を踏み入れると、セラミックはその多様性をさまざまなデザインで、訪れる人の目を楽しませてくれます。

ハンガリーの建築タイル紀行 ハンガリーの建築タイル紀行 ハンガリーの建築タイル紀行
古い建物をそのまま利用しており、工房というよりも別荘の趣がある

ジョルナイ工房、庭に置かれた壷。1914年に、ヴィルモシュの孫、シコルシュキ・ジョルナイ・ミクローシュがオランダ・ハーグ平和ホールのためにデザインした壷の複製

エオシンのボーダーと星模様のタイル
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ジョルナイ工房内、階段部
繊細な色変化の美しいタイルで一面覆われている。要所のエオシン釉が引き締め効果をもたらしている
レリーフタイルを繰り返し、2種の花柄を描いている
撮影:センティヴァーニ・ヤーノシュ

レヒネル・エデンとハンガリー世紀末建築

ハンガリーは、西暦896年、東方からヨーロッパにやってきたマジャール民族によって建国された。その後千年にわたり、モンゴルやトルコに占領されるなど、波乱の歴史をたどりながらも、独自の言語と豊かな伝統文化を形成してきた。とくにオーストリア=ハンガリー帝国の時代(1867〜1918)には、民族意識の高まりと急速な工業化によって、ハンガリーはヨーロッパの中でも独特で、華やかしいアール・ヌーヴォーの建築と応用美術を開花させた。
レヒネル・エデン(1845〜1914)は、まさにこの時期に登場した建築家であり、ハンガリー建築に、さらにはヨーロッパ世紀末建築史に名を残すまでに有名になった人物である。当時のハンガリーの建築家の多くはまずドイツで建築を学んでいた。そのため、首都ブダペストの建築もドイツ建築の影響を受けて折衷主義、様式主義的なものとなった。レヒネルもこの影響を受けたひとりだが、一方でマジャール民族の伝統装飾への関心も多分にあった。それが形となってあらわれたのが、ハンガリー建国千年祭の年(1896年)に建てられた「国立応用美術館」であり、まるでマジャールのエネルギーが噴出したような建築となった。その後も、国立地質学研究所、旧郵便貯金局と立て続けに公共建築を設計し、ブダペストという世紀末都市に独自の表情を与えた。
ヨーロッパの他のどの都市にも見られない圧倒的な迫力を持つレヒネルの建築の特徴は、なんといっても建物のあらゆる部位にやきものをふんだんに配したことだった。これは、レヒネルがもともとセラミックに対し強い関心を抱いていたことに加え、ジョルナイ工房のセラミックと出会ったことによって、レヒネル自身、その可能性を充分に実感した結果である。こうして、セラミックを多用した装飾主義と有機的な造形意匠は、レヒネル様式とよばれるほど、その後のハンガリー建築に決定的な影響を残すことになった。
レヒネルはマジャール民族の伝統を踏まえ、同時代のアールヌーヴォーや東方への憧れを交配することによって、ハンガリー建築史を塗り替えたのである。

ハンガリーの建築タイル紀行
国立応用美術館
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土俗の匂いのするモチーフを幻想的なフォルムにまとめた屋根の形状。そして、内部は、一転して、イスラム風なモチーフが散りばめられ、空間はインドのそれを思いおこすような不思議な建築となっている。建物の内外に張り巡らされた膨大なタイルと、その機能性によって表現力を拡大させたジョルナイ製ピログラニットとの競演が見事な出来栄えを見せている。
設計:レヒネル・エデン、パールトシュ・ジュラ
(1893〜96年)左/撮影:浜田剛爾 右/会場
国立地質学研究所
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レヒネル・エデンの代表作のひとつ。前作の、マジャールとオリエントの融合をめざしたパワー溢れんばかりの「国立応用美術館」と比べ、地質学研究所は、土俗性と歴史主義がうまく融けあい、より洗練された作品となった。レヒネル特有のスタイルが確立する。外壁一面に、月、植物、アンモナイトなど地質学にかかわりのあるモチーフが鮮やかな青釉陶板で嵌め込まれている。
設計:レヒネル・エデン(1897〜99年)
左/撮影:浜田剛爾 右/会場
旧郵便貯金局
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ジョルナイの陶板を用いた荘厳な屋根に歴史を感じる。修復・改修により施設内部は近代化されている。
左/撮影:センティヴァーニ・ヤーノシュ 右/会場

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